Voyage au bout de la nuit

一緒にツーリングに行ってくれる友達が欲しい

未年だからって「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の話でもしようかって?まるでオッサンのネタじゃないか!!

2014年が終わっていた

本当はもっと1994年のエロゲに関して(もう2、3本くらい)書こうと思ってたんだけどいつの間にか終わってしまったね、まあ機会があったら書こうと思います

さてじゃあ今年は95年かってなるけどまあ95年っていうと個人的にインパクトの高い作品揃いの94年と言わずもがな名作揃いの96年にはさまれてどうも印象が薄い、まあべつに2014年だから94年って訳じゃなかったんですよ、94年というものが私自身のエロゲ現代考にとってとても重要な年だったと、それはわかっていただきたいですね

そういえば去年YU-NOの版権をエルフがひっそりと手放したその裏でいつのまにか復刻していたEVE burst errorサントラの存在に今頃気付いて本当に今更聞いてるんだけどさ、いいね、YU-NOもEVEもゲームに関しては本当に散々語りつくされてきたゲームだし今更どーこー言うようなことは何もないけど音楽が本当にすばらしいんだよね、あ、そういえばEVEって1995年のゲームだっけ……

で、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、言わずと知れた「ブレードランナー」の原作小説なんだけど、映画と小説の違いでさ(一説によると監督は原作を全く読まなかったらしいんだけど、本当かな?まあどうでもいいね)おもしろいなーって思ったのは、舞台は同じアメリカ西海岸なんだけど原作では核戦争後の死の灰が降り注ぐせかいで、映画だと死の灰の代わりに酸性雨が降り注いでるんだよね

なぜ放射性降下物が酸性雨に変ったかといえばそれはおそらく映像表現的な理由が一番なんだろうけど、そこに60年代と80年代の未来観の大きな推移、どうやら私たちは核戦争によって滅亡するという絶望的な未来はなんとか回避できたようだが、だからといって未来は明るいものではなさそうだ、それどころか環境は滅茶苦茶、東洋のわけのわからない島国のせいで自国の産業は破壊され、失業者増加に歯止めがかからない、そこに滅亡という結末に向かって絶え間ない進歩と発展を繰り返し世界一の大国であり続けるアメリカの姿はもはやどこにもない、(むしろそのまま絶頂期のまま滅亡してたほうがマシだったんじゃない?というのは日本人的な考えかな、でも当時のアメリカが懐古主義的だったのは確かだと思う、レーガン政権なんかを見ても)その未来観の大きな変革、それが「死の灰」と「酸性雨」、この違いによってとても象徴的に表されてるんじゃないかなあ、と思います

しかしこの時代ってのは本当に隔世の感があるなあ、もちろんそれは現代というものがこの映画に見られるような無国籍でカオスなモノとは程遠い、むしろ国家や民族というものが当時以上に以上に個人を縛り付けてるというか、無論そういった未来(現代)にならないがためにそうなった、という面もあるのだろうが